激闘 中学受験
今回のことは残念であったが、そんなに落ち込みはしなかった。3カ月が無駄になったが、そんなに悔いもなかった。今年資格にはじめて挑戦して1勝1敗ならまあそんなものだろう。それに、人生にとって元々たいしたことではないのだから。それよりも僕にとってはもっと大事なことが控えていた。息子の中学受験である。息子が目指している中学は、内申がかなり影響するところだった。近くの同レベルの中学では内申はほとんど関係がないが息子の目指している中学はかなり重要らしい。5年生の時、どうするのか話してみた。彼はその中学に行きたいと言った。テストが良くても内申が悪いと落ちることがあるがそれでもいいのかと聞いた。それでもいいと彼は言った。それならばと地元で一番進学率が高い塾に入ることになった。入塾テストにおいては中の上くらいであった。
我が家の中学受験が始まった。5年生の時はまだ気楽だった。息子は算数が得意だったが、国語が苦手だった。でも2年あるからまあどうにかなるだろうと思った。ただ学校の授業はがんばらねばならならない。6年生になった。本格的に受験勉強が始まる。塾だけでは物足りなく、家でも勉強した。特に妻が中心となり、息子と一緒になって勉強を始めた。マンツーマンで夜遅くまで勉強する日々が続いた。夏前の評価テストでかなり点数は上がった。このままいけば受かるよと塾の講師に言われるくらいまでになっていた。ただ学校の勉強はおろそかにしないようにとの指摘も受けていた。
2017年11月、受験まであと3カ月まで迫っていた。妻は息子につきっきりでがんばっていた。僕は次男を寝かしつけるため邪魔しないように早く寝た。息子と妻は12時近くまでの勉強を続けていた。息子と妻との頑張りを見ているとどうしても受かってほしいと思った。僕の資格試験なんてどうでもいい。息子が志望校に合格することそれが僕ら家族の願いだった。
2学期末の通知表がきた。予想に反して、下がっていた。受験勉強に力が入りすぎ学校の成績が落ちていたのだ。なんということだろうかこんなに頑張ってきたのに。僕自身のことならどうでもよいが、息子のことなのでより一層心配だった。妻も衝撃を受けていたようだ。塾で成績を見てもらったが、学力では受かる可能性は高いが学校の成績が良くないので受かるかどうかは五分五分だなとの判断だった。学校の同級生で同じ中学をうける子は確率100パーセントで受かるといわれたらしいと息子はぽつりと言った。妻も落胆しているようだった。僕は息子にかける言葉に詰まった。でもここまで来たらがんばるしかない。学校の成績も最後まであきらめずやるしかない。息子と一緒に風呂に入ったとき、最後までがんばろうとだけ言った。息子は一言うんといった。彼は全然諦めていない様子だった。最後まで足掻いたやつだけに未来はある。僕は息子といっしょに最後まで足掻き続けるのだ。
息子は学校の成績を上げるためにがんばっている。受験のテスト用の勉強もしなければいけない。食事以外の時間はすべて受験勉強に費やされていた。妻も必至である。今までよりもさらに熱く息子に教えている。受験は本当にチームプレーでやるものなんだと改めて感じさせられた。僕の資格試験なんてやっぱりただの個人プレーだ。
僕は普通の公立中学に行った。義務教育で小学校から中学生に自動的に上がった。僕の親は、親が子供に勉強させるのはエゴであると言い切っていた。僕も小さいころから勉強しろと言われたことがない。でも勉強はきらいではなかった。たぶん親に強制されなかったからかもしれない。スポーツが苦手だった僕は中学時代は運動部には入ってなかった。ただ勉強は普通にできた。だからそれくらいしか自分をアピールできることはなく、期末のテストだけは頑張ってやった。でもまあまあの成績だった。さして面白い性格でもない僕はそれくらいしか特技がなかった。それも格別にできるわけでもない。僕は普通の公立高校に行き、そこで普通の目立たない学生として3年間を過ごし、1浪して大学に入った。そしていまの会社に就職した。ごく普通の人生を生きてきたのである。だから普通の親として息子にはいい大学に入ってほしいと思っている。しかしそれは彼のやりたいことの選択肢が増えるためだからだ。ただどういう人生を歩むかは彼次第。大学に行きたくなければそれもいい。それよりも大事なのは自分のためだけじゃなくて人のために何ができるかだ。すべての子供には人のために何かできるそういう大人になってほしい。そうでないとこの国には未来がないではないか。
息子にこれだけの勉強をさせている。妻に言わせれば自分でやるっていったのだからさせてるわけじゃないという。でも僕は息子が自分たちのことも考えてそう言ったのではないかと思っている。小学生くらいの子供なら、自然に親の期待にこたえたいという子供心があっても不思議ではないからだ。仮にそうだとしても、彼は自分の人生と向き合っている。自分の本意でなくとも、今それと向き合っている。これが彼の人生にとって意味があるものになるのかならないのか。未来は、大人ではなく子供にこそあるべきものでなければならない。
とうとう受験当日がやってきた。息子を試験会場の近くまで送っていった。集合より30分ほど早く送りだした。試験会場の校門前で、塾の講師が待っている。最後の気合でも入れて送り出す予定なのだろう。僕は家で待つことくらいしかできない。妻と大丈夫かと心配しながら終了時間まで、そわそわしながら待った。試験の終了時刻になった。待ち合わせ場所まで車で迎えに行く。受験を終えた子供たちが出てき始めた。息子の姿はない。それから30分ほど待った。息子が3人組で話しながら出てきた。すぐに僕の車を見つけ、急いで走ってきて後部座席に乗り込んだ。「どうだった?」との問いに、笑顔で、「できた。思っていたところが出た。」と答えた。声がとても明るかった。満足して帰ってきた息子を見て少し安心した。あとは運を天にまかせて発表を待つのみだ。
発表日当日の朝がやってきた。合格発表は郵便で届く。やることはすべてやった。あとは神に祈るだけだ。ただこれは、息子の人生に大きくかかわる。もちろん僕の人生にも大きくかかわる。試験当日の次の日、テストの答え合わせが塾であった。テストは思ったより出来ていたようだ。特に算数については1問落としただけだったようである。苦手な歴史も運よく出来たみたいだ。当日のテストの成績はまずまずである。あとは内申がどう反映されるかだ。
朝8時には目が覚めていたが、その日は寒く布団の中に潜り込んでいた。妻はもうすでに起きていて台所で何かしているようだった。玄関のチャイムが鳴った。妻が出た。扉が閉まりしばらくして妻が大声で僕を呼んだ。何か足をバタバタさせているような感じだった。「受かった。受かってるよ!」僕も布団から飛び起きて玄関まで降りて行った。妻はこれ以上ないというような喜びで小さく何度もジャンプしていた。息子も妻と一緒にジャンプしていた。僕は妻から紙を受け取り、合格という文字を確認した。やったーと大声で叫んだ。息子によくやったなと肩をたたいた。彼は満面の笑みで答えてくれた。息子と妻の努力の結果である。最後まであきらめなかった息子と妻をほめてあげたかった。窓を開けると気持ちの良い春の風が入ってきた。日差しがきらきらとやさしく息子と妻の顔を照らしていた。
0コメント